巨匠の生涯

エッシャーのだまし絵10選|不可能図形と無限を描いた版画家

エッシャーは、1898年にレーワルデンで生まれたオランダの版画家である。木版・リトグラフ・メゾチントを使い分け、油彩をほとんど残さなかったため、その作品は線で組み上げた設計図のように見えるし、父ジョージ・アルノルド・エッセルが明治期の日本で淀川修復に携わった土木技師だった事実も、

巨匠の生涯

エッシャーのだまし絵10選|不可能図形と無限を描いた版画家

更新: 美の回廊編集部
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エッシャーは、1898年にレーワルデンで生まれたオランダの版画家である。
木版・リトグラフ・メゾチントを使い分け、油彩をほとんど残さなかったため、その作品は線で組み上げた設計図のように見えるし、父ジョージ・アルノルド・エッセルが明治期の日本で淀川修復に携わった土木技師だった事実も、数学的な錯覚へ向かう視線を裏づけている。

展覧会で『滝』の前に立つと、水路を目で追って一周してしまい、どこにも切れ目が見つからないまま数分立ち尽くしたことがある。
あの不思議さは見た目の派手さではなく、ペンローズの三角形や階段のような不可能図形が、なぜ成立しているように見えてしまうのかという仕掛けにある。

本記事では、1938年『昼と夜』から1961年『滝』までの10作を、平面充填、不可能図形、自己言及という型で整理し、作品名の羅列ではなく錯覚のメカニズムとして読み解いていく。
『版画ギャラリー』を2003年に数学者が補完した例や、『円の極限IV』が双曲幾何と結びつく例まで含めれば、独学の版画家が数学の最前線と接触していたことが見えてくる。

エッシャーのだまし絵は遊びで終わるものではなく、ロイテルスバルトとペンローズの二重発見、コクセターの論文、そして画面の空白を埋める数理的な補完へとつながっている。
まずはその仕掛けの型を押さえてみてください。

エッシャーとは|だまし絵を生んだ版画家の素顔

マウリッツ・コルネリス・エッシャーは1898年6月17日にオランダ北部のレーワルデンで生まれ、1972年3月27日に没した版画家です。
だまし絵の作者として知られますが、制作の中心は木版・リトグラフ・メゾチントで、油彩はほとんど残していません。
だからこそ彼の作品は、色の厚みよりも線と面の設計で立ち上がる。
建築を描きながら、その建築が成立しない世界へ向かう矛盾も、ここから読めます。

画家ではなく版画家であることの意味

エッシャーを最初に画集で見たとき、イラストレーターだと思い込んだことがあります。
ところが技法欄に木版やリトグラフの表記があり、手で描いた一枚絵ではなく、版を彫り、刷り、反復して成り立つ仕事だと知って見え方が変わりました。
版画では、線のわずかな傾きや黒白の切り替えがそのまま構造になるため、錯覚は偶然ではなく設計になります。

エッシャーの代表作を追うと、その性格はさらにはっきりします。
『滝』『上昇と下降』『ベルヴェデーレ』のような不可能図形も、『昼と夜』『メタモルフォーゼII』『爬虫類』の平面充填も、『描く手』『版画ギャラリー』『円の極限IV(天国と地獄)』の自己言及も、みな線の論理で組み上がっているのです。
画材の偶然性ではなく、局所の正しさを積み上げて全体を破綻させる、その冷たさが面白いのではないでしょうか。

父が明治日本に残した土木遺構という縁

エッシャーの父ジョージ・アルノルド・エッセルは1843年生まれの土木技術者で、1873年(明治6年)にヨハニス・デ・レーケらとともに来日したお雇い外国人でした。
淀川の修復工事、福井の三国港に築かれたエッセル堤、龍翔小学校の設計に関わり、河川や港湾から橋梁、トンネルまで指導している。
日本の近代インフラに名を残した技師の息子が、成立しない建築を描く版画家になる。
ここには、ただの珍しい家系では済まない対比があります。

エッセル堤の名を知ると、エッシャーという名前が美術館ではなく土木遺構の解説板に載っている場面まで想像してしまいます。
二重に奇妙です。
父は現実の川や港を相手にし、息子は紙の上で橋や階段を崩していく。
その距離があるからこそ、後年の作品にある構造への執着が、家庭の気配として少し見えてくるのです。

土木技術者の家に育った少年が錯覚に向かうまで

エッシャー自身も少年期に土木技術を学び、ピアノのレッスンを受けていました。
学業成績は振るわず、建築を志して進学しながら版画へ転じています。
ここで押さえたいのは、彼が数学の専門教育を受けていない独学者だったことです。
だまし絵は数学から演繹されたのではなく、まず「描けてしまう」という視覚的発見があり、あとから数学が追いついた。
この順序が分かると、エッシャーの仕事は急に人間的になります。

彼の関心は一貫して、局所的には正しいのに全体としては成立しない構造にありました。
どの部分を切り出して見ても破綻はないのに、視線を回して全体をつなぐと崩れる。
建築、平面充填、自己言及という三つの領域をまたぎながら、彼はその矛盾を何度も確かめ続けたのだと思います。
版画であること、土木の家に生まれたこと、数学者ではなかったこと。
この三つが揃って、あの錯覚は生まれたのでしょう。

だまし絵10選 一覧|3つの仕掛けで読み解く

エッシャーのだまし絵10選は、平面充填から不可能図形、自己言及へと関心が移る順に並べると、作品同士のつながりがはっきり見えてきます。
『滝』と『昼と夜』が同じ作家の手によるものだと最初は結びつきませんでしたが、型で整理すると、模様の実験と空間の破綻が一本の線でつながっていました。
階段の人だと片づけてしまうと見落としますが、実際には10作のうち階段が前面に出るのは2作だけです。
だからこそ、先に一覧で全体の地図を持ってから読むと、エッシャーの変化が見えてくるのです。

10作品の早見表

作品名(原題)制作年技法仕掛けの型見どころ
昼と夜1938年木版平面充填白黒の鳥が市松状に交替し、図と地が反転する起点になる
メタモルフォーゼII1939年11月-1940年3月木版平面充填20枚の版木を3枚の紙に刷り継いだ約3.9mの変容で、模様が連続的に姿を変える
爬虫類1943年リトグラフ平面充填平面の図から立体が抜け出し、また平面へ戻る循環を見せる
1961年10月初摺リトグラフ不可能図形3つのペンローズの三角形で水路がつながり、始点より終点が2階分高くなる
上昇と下降1960年3月完成リトグラフ不可能図形ペンローズの階段が延々と続くように見え、上下の感覚を裏切る
ベルヴェデーレ1958年リトグラフ不可能図形不可能立方体が主題で、模型まで画面内に描き込まれている
相対性1953年7月/同年12月木版/リトグラフ不可能図形3つの重力源が同居し、上と下の秩序そのものをずらす
描く手1948年1月初摺リトグラフ自己言及互いを描き合う因果が循環し、原因と結果の順序が閉じない
版画ギャラリー1956年5月リトグラフ自己言及中央の空白が自己増殖の回路になり、版画そのものが版画を含む
円の極限IV(天国と地獄)1960年7月木版2版刷り自己言及双曲幾何で無限を有限の円に収め、極限の手前で像が折り返す

不可能図形は、部分ごとの遠近法は正しいが、全体をつなぐと空間が閉じない仕掛けです。
平面充填は、隙間なく敷き詰めた図形の、図と地が入れ替わる、あるいは平面から立体へ抜け出す仕掛けです。
自己言及は、絵が絵自身を含み、原因と結果の順序が決まらない仕掛けです。
この3行が、そのまま記事全体の圧縮版になります。

10作は不可能図形4点、平面充填3点、自己言及3点で構成され、最古は1938年の『昼と夜』、最新は1961年の『滝』です。
23年間に収まる並びを前半から見ると、1938年から1943年までは平面充填に集中し、1950年代以降に建築の不可能図形と自己言及へ移っていきます。
エッシャーは最初からだまし絵の作家だったわけではなく、模様の実験から始めて空間の破綻へたどり着いたのだと分かります。

仕掛け①不可能図形/②平面充填/③自己言及の違い

3つの仕掛けは似て見えて、読んでいる場所がまったく違います。
不可能図形は建築や階段、水路のような「空間のつながり」に関わり、平面充填は鳥やトカゲ、黒白の反復で「面をどう埋めるか」を扱い、自己言及は版画が版画を含むという「作品そのものの回路」を描きます。
まずこの違いを押さえると、10作の並びが単なる名作集ではなく、関心の変化を追う年表になるでしょう。

時系列で追うなら、平面充填→不可能図形→自己言及の順に読むと、表面の模様が空間の矛盾へ、さらに作品内部の循環へ深まる流れが見えてきます。
表の『仕掛けの型』列はそのまま章の見出しに対応しているので、どこから読んでも成立しますが、順番をそろえると理解が速いはずです。
友人に「エッシャーって階段の人だよね」と言われたとき、確かにそうだと思いつつも、10作を型で並べ直したら階段は一部にすぎないと分かりました。
そこからようやく、滝も昼も同じ視線の延長にあると見えてきます。

【仕掛け①不可能図形】建築が破綻する4作

『滝』『上昇と下降』『ベルヴェデーレ』『相対性』の4作は、建築や階段、水路を使って「局所的には正しいのに全体では破綻する」仕組みを、それぞれ別の角度から見せる連作です。
共通する核はペンローズの三角形と階段で、エッシャーはそれを1950年代から1961年にかけて展開しながら、不可能図形を水の流れ、修道士の行進、立方体の模型、複数重力の建物へと変換しました。
どの作品も、見る側が「どこが間違っているのか」と探しても単純な誤りが見つからない。
その不快さこそが設計の正しさであり、錯覚が成立する条件だと分かります。

滝|3つのペンローズの三角形でできた永久機関

『滝』(Waterfall、1961年10月初摺、リトグラフ、38×30cm)は、滝壺から水路を下った水が、いつのまにか滝の上に戻って再び落ちるように見える作品です。
だが、水の循環を支えているのは魔法ではなく、細長いペンローズの三角形2つの長辺に沿って水路がジグザグに折り返される構造で、終点が始点より2階分高く置かれています。
滝そのものが両三角形の短辺を成して水車を回し、さらに2つの間にある水路の2区間と支柱の塔で3つ目の三角形まで組み込まれている。
1枚の版画に、矛盾が三重に畳み込まれているわけです。

この作品で肝心なのは、どの接合部も局所的には正しいことです。
水路の各区間だけを見れば遠近法は破綻しておらず、指でなぞると確かに一周できてしまう。
実際に水路を追うと、破綻点を特定できないこと自体が、この作品が狙い通りに働いている証拠だとわかります。
エッシャーは嘘の線を引いたのではなく、正しい線だけで閉じない空間を組んだのであり、読者が「おかしい場所」を見つけられないのは失敗ではありません。
そこが面白いのです。

上昇と下降・ベルヴェデーレ|終わらない階段と不可能立方体

『上昇と下降』(Ascending and Descending、1960年3月完成、リトグラフ、約35.5×28.5cm)は、建物の屋上に終わらない階段を載せた版画です。
ペンローズの階段を用いて、修道士の列は延々と昇り、別の列は延々と降り続けるのに、誰も高さを得られない。
ここで重要なのは、前提になるペンローズの三角形が1934年にオスカー・ロイテルスバルトが設計し、1958年にロジャー・ペンローズが独立に再発見したことです。
エッシャーはこの図形を受け取り、1960年の『上昇と下降』、さらに1年後の『滝』へとつなげていった。
年代が連続していると、1つの発見が実作として押し広げられる過程が見えてきます。

『ベルヴェデーレ』(1958年、リトグラフ)は、その発展を別方向に振った作品です。
不可能立方体が主題で、建物の上階と下階で柱の前後関係が入れ替わっているのに、階下の少年が手にしているのは、まさにその不可能立方体の模型になっています。
ここでは種明かしが画面の外に隠れているのではなく、画面内に描き込まれている。
答えは絵の中にある、という自己解説性がこの作品の見どころです。
見れば見るほど、作品自身が「こう読め」と指さしているように感じられるでしょう。

相対性|重力が3つある建物

『相対性』(Relativity、木版が1953年7月、リトグラフが同年12月、29×28cm)は、前の3作と性質が少し違います。
ここに不可能図形はなく、各部分は物理的に成立している。
破綻の原因は重力が3つ同居していることで、ある人物にとっての床が別の人物にとっての壁になり、3組の住人が互いを認識しないまま同じ階段を使っています。
つまり、空間そのものをだますのではなく、視点の向きをずらしているのです。

この作品を上下逆さまにして眺めると、さっきまで壁だと思っていた面が床に見え、人物の姿勢が急に自然になる瞬間があります。
作品が壊れていたのではなく、こちらの重力の当て方が1つしかなかったのだと分かる。
前3作が「空間の矛盾」なら、『相対性』は「視点の複数性」です。
観客がどの重力に同調するかで絵の意味が変わるので、4作を並べると、エッシャーが不可能図形から認知のずれへと焦点を移していった流れがはっきり見えてきます。

【仕掛け②平面充填】平面が生き物になる3作

『昼と夜』(Day and Night、1938年、木版)は、平面充填を静かな模様のままで終わらせず、視線そのものを動かす装置に変えた作品です。
白い鳥と黒い鳥が市松状に交替し、中央から下方へ進むほど格子状の田園風景に溶けていく構成は、図と地を入れ替えながら見せるために組まれている。
エッシャーがアルハンブラ宮殿のモザイクから受け取ったのは隙間なく敷き詰める発想でしたが、そこへ鳥を入れて、模様を飛行の連続へ変えたところに独創があるのです。

昼と夜|図と地が入れ替わる瞬間

白い鳥だけを追って見たあと、黒い鳥だけを追い直すと、同じ輪郭線が二度とも主役になることに気づきます。
輪郭は固定されているのに、図だと思ったものが地へ回り、地だった部分が図へ立ち上がるので、視覚は落ち着く先を失うのです。
1938年の木版であるこの作品は、隙間なく並ぶ生き物のうち、どこまでを一匹の鳥として見るかを鑑賞者に委ねている。
市松状の反復が下の格子状の田園風景へ滑り込む場面では、平面充填が風景へ変わる境目まで見えてきます。

メタモルフォーゼII|約3.9mを一続きで変容させる

『メタモルフォーゼII』(Metamorphosis II、1939年11月〜1940年3月、木版、19.2×389.5cm)は、変容を時間ではなく距離で見せる作品です。
格子模様がトカゲになり、蜂の巣になり、魚、鳥、立方体、街並みへと途切れず移り変わる流れは、約3.9mの横長画面で初めて腑に落ちる。
20枚の版木から3枚の紙に刷り継いでいる事実も、変化には段差ではなく継ぎ目のない運動が必要だと示している。
画集の見開きでは連続性がほどけて見えにくいが、展示で端から端まで歩くと、格子が街になるまでの距離がそのまま作品の理屈になるでしょう。

爬虫類|2次元から抜け出して戻る循環

『爬虫類』(Reptiles、1943年、リトグラフ)は、平面充填を立体の通路に変える一枚です。
机上の平面充填のスケッチから、1匹のトカゲが本や三角定規、多面体を這い上がって立体として抜け出し、また紙面の中へ戻っていく。
この循環では、2次元の模様が3次元へ抜け出す瞬間と、現実の机の上に再着地する瞬間が同じ動線で結ばれている。
1943年という戦時下の制作であることは背景として読めますが、作品は戦争そのものを語るのではなく、平面充填の探究が空間の探究へ橋渡しされる転換点として立っているのです。

3作を並べると、発展の筋道ははっきりします。
『昼と夜』で図と地を反転させ、『メタモルフォーゼII』で変容に長さを与え、『爬虫類』で平面から立体へ抜け出した。
その先に、次章で扱う建築の破綻と自己言及が続く。
平面充填はここで、単なる装飾ではなく、動き出す絵のための基礎文法になっている。

【仕掛け③自己言及】無限が閉じる3作

『描く手』、『版画ギャラリー』、『円の極限IV』の3作では、エッシャーの関心が空間の矛盾から、絵そのものが自分を指し示す論理へと移っていきます。
建築が崩れる絵から、原因と結果が循環する絵、そして有限の円に無限を詰め込む絵へと進むにつれ、仕掛けは目の錯覚ではなく構造の問題として立ち上がるのです。
どれも見た瞬間の驚きで終わらず、なぜ成立してしまうのかを考えさせる点に核心があります。

描く手|原因と結果が循環する

『描く手』(Drawing Hands、1948年1月初摺、リトグラフ)は、最小の情報で最も深い循環を見せる作品です。
2本の手が互いの袖口を描き合い、右手が左手を描き、左手が右手を描いている。
ここでは、どちらが先に描き始めたのかを定めた瞬間に説明が崩れます。
見ている側は無意識に原因を探しますが、原因そのものが結果に回収されるため、因果の順序は最後まで固定されません。
実際にこの作品を見たとき、どちらの手から描き始めれば成立するのかを本気で考え、答えがないと気づくまでに時間がかかりました。
絵を見ていたはずなのに、いつのまにか論理の輪の中に入っていたわけです。

画面の要素が少ないからこそ、自己言及の鋭さが際立ちます。
手は紙面の外へ逃げず、互いを支えにしながら自分の存在を証明しているように見える。
だからこの作品は、装飾としての奇抜さではなく、描くという行為そのものを論理のレベルで反転させた例として読むべきでしょう。
10作の中でも情報量は最も少ないのに、構造の奇妙さはむしろ最も強いのです。

版画ギャラリー|絵の中に絵自身が入れ子になる

『版画ギャラリー』(Print Gallery、1956年5月、リトグラフ)は、入れ子構造を極限まで押し進めた作品です。
画廊で版画を見ている青年がいて、その版画の中の街には、再びその青年が立っている画廊が含まれている。
見る者と見られる絵が同じ平面上で閉じてしまうため、画面は渦を巻くように歪み、中央には円形の空白が残されます。
そこに置かれたエッシャー自身の署名は、単なる作者表示ではありません。
埋められなかった穴に自分の名前を置くという判断そのものが、作品の一部になっているからです。
長くその空白を見て、ただの余白だと思っていた目が、署名の意味を知った瞬間に変わりました。

この穴は2003年に決着します。
バルト・デ・スミットとヘンドリック・レンストラが、作品を複素数体上の楕円曲線に描かれたものとして扱うことで補完に成功し、理想化された『版画ギャラリー』は時計回りに約157.63度回転し、約22.58倍に縮小すると自分自身のコピーを含むことを示しました。
いわゆるドロステ効果の厳密な形です。
エッシャーが直感で引いた歪みが、半世紀後に複素関数の性質と一致していた事実は重い。
ここでは、絵が絵を含むだけでなく、数学がその閉路を後から言語化しているのです。

円の極限IV|有限の円に無限を詰める

『円の極限IV(天国と地獄)』(Circle Limit IV、1960年7月、木版、417×417mm、黄土と黒の2版刷り)は、無限を有限の円の内側に閉じ込めた到達点です。
天使と悪魔が図と地を分け合いながら、円周に近づくにつれて無限に小さくなり、縁には決して到達しない。
中央の最大の6体は白い天使3体と黒い悪魔3体で、円盤そのものが6つの扇形に分割されているため、中心から外縁へ向かう視線がそのまま縮小の規則を読み取らせます。
ユークリッド幾何では、縁のない無限平面を有限の円に写すことはできません。
そこで双曲幾何が必要になる。
紙の上に置けるのは木版のインクだけですが、その内部では無限の秩序がちゃんと保たれているのです。

この作品の面白さは、無限が単なる比喩ではなく、反復可能な配置原理として見えてくる点にあります。
黄土と黒の2版刷りという制約が、かえって構造の明瞭さを強めている。
色数を絞ったぶん、天使と悪魔の増殖規則、縮小のテンポ、円周に触れないという条件がはっきり読めます。
有限の紙に無限を収める発想は、絵の技巧ではなく幾何の選択です。
だからこそ、この作品は「無限をどう描くか」ではなく、「無限がどう閉じるか」を示しているのでしょう。

3作を並べると、エッシャーの関心がどこへ向かったかがはっきりします。
『滝』の矛盾は空間にあったが、『描く手』と『版画ギャラリー』の矛盾は因果と入れ子にあり、『円の極限IV』の矛盾は無限の扱いにある。
建築の破綻を描いていた画家は、やがて論理そのものを絵にした。
そこに、晩年のエッシャーが見ていた世界の深まりがあります。

エッシャーが数学者を魅了した理由

アルハンブラ宮殿は、エッシャーが数学へ近づく最初の扉でした。
1922年と1936年にグラナダを訪れてムーア人のモザイク模様を模写した経験は、単なる装飾趣味では終わらず、平面がどのように隙間なく埋まるのかという規則への執着を呼び起こします。
具象的な風景版画の作家が、そこから平面充填の探究へ舵を切った。
そこに、数学者が驚く理由があります。

アルハンブラ宮殿で受けた衝撃

アルハンブラ宮殿で見たのは、模様の美しさだけではありませんでした。
壁面を埋める反復の構造そのものが、図形の境界と連続性を同時に示していたのです。
実際にアルハンブラ宮殿の壁面写真とエッシャーの平面充填を並べると、構造は似ていても、エッシャーの図柄だけが魚や鳥や人の姿を帯びています。
借りたのは規則で、足したのは生命感だとわかる。

1936年の再訪が決定的だったのは、その衝撃が目に残る記憶ではなく、制作の方向を変える直観に変わったからです。
以後の作品では、風景を写す力よりも、面をどう分割すれば無限に展開できるかを考える力が前に出てきます。
美の体験が、構成の発見へ変わったわけです。

独学で組み立てた平面の正則分割

エッシャーは数学の専門教育を受けていません。
それでも1937年から平面の正則分割に関する独自のノートをまとめ始め、図柄の反復、対称、変形のルールを自力で積み上げていきました。
1958年にはその成果を『平面の正則分割』として刊行し、作品を作りながら規則を見つけ、あとから言葉にする順序をはっきり示しています。
ここが肝心で、彼は理論を借りて絵を説明したのではないのです。

この順序は、エッシャーを「図解する画家」ではなく「発見する画家」に変えました。
図形を知識として並べるのではなく、手を動かすうちに法則へ到達している。
だからこそ、版画は説明図ではなく、発見の痕跡として読めます。

コクセターとの往復が生んだ円の極限

1958年、エッシャーは幾何学者H.S.M.コクセターの論文に載っていた1枚の図から着想を得て、円の極限シリーズに取りかかります。
彼はこの双曲的なタイル貼りの作業を「コクセタリング」と呼びました。
学術図版の素っ気ない線が、天使と悪魔が無限に小さくなる画面へつながる、その距離の大きさこそ仕事量だと感じさせます。

1959年にはコクセターが完成作を検証し、エッシャーはミリ単位まで誤差を抑えて仕上げたと報告されています。
数学の訓練を受けていない人物が、手作業で双曲幾何を精密に実現してみせたのです。
しかもそれは一度きりの偶然ではなく、数学者が作品を認め、作品が数学の正確さを証明する往復でした。
ペンローズの三角形を受け取って『上昇と下降』『滝』へ変換した仕事も、その交流の反対側に置かれます。
数学が部品を渡し、美術が組み立てたのである。

エッシャー作品はどこで見られるか

エッシャー作品を実物で見るなら、まずハーグのエッシャー美術館が起点になる。
Escher in Het Paleis は旧王宮を転用した常設拠点で、代表作を体系的に追えるため、10作をまとめて見たいときの第一候補だ。
作品が世界各地に分散している以上、こうした集積の場を押さえる意味は大きい。

オランダ・ハーグのエッシャー美術館

ハーグのエッシャー美術館は、エッシャーの制作全体を横断して見られる場所として最も充実している。
旧王宮という器に収められているので、展示そのものが「作品を一望する」という経験に向いているのです。
エッシャーは一枚ごとの完成度が高いだけでなく、制作の関心が不可能図形、平面充填、自己言及へとまたがるため、単発で見るよりまとまって見たほうが変化がつかみやすい。
ここを起点にすると、作品のつながりが見えてきます。

日本での展覧会と巡回の傾向

日本でもエッシャー展は繰り返し開かれてきた。
2018年の生誕120年記念展では約150点が日本初公開となり、日本では約12年ぶりの大規模回顧展として注目された。
以降も美術館やコレクション所蔵作品による企画展が続いていて、国内で実物に触れる機会は思ったほど少なくない。
版画は同一の版から複数刷られるので、『滝』も『上昇と下降』も複数の館やコレクションに所蔵されうる。
油彩のように「この作品はここにしかない」と言い切れない構造だから、会える確率が上がるのである。
開催情報は各館の公式発表で確認して、機会が来たら迷わず足を運びましょう。

実物で確認したい刷りの質と線の細さ

実物の強さは、縮小図版では消えてしまう細部にある。
『滝』の水路の目地や『円の極限IV』の円周付近の縮小は、画集では潰れて見えないが、現物では彫り分けの密度がそのまま見える。
実際、『円の極限IV』を見たとき、円周に近い天使と悪魔が印刷では消えていた領域まで刻まれていて、作品の主張はそこに宿っているのだと分かった。
これは大判の版画ほど顕著で、線の細さが意味の細さに直結する。

技法差も見逃せない。
リトグラフの滑らかな階調は面で迫り、木版の刃の跡は線の方向を残す。
並べて見ると、同じエッシャーでも手触りがまるで違う。
『メタモルフォーゼII』の約3.9mは、画集では一目で理解できる変容が、実物では移動しながら追う経験に変わる。
端から端まで歩くと、変わっていく途中の自分の記憶まであいまいになる。
面白いのはそこだ。

会場で作品名が分からなくても、見るべき物差しははっきりしている。
不可能図形か、平面充填か、自己言及か。
この3分類で見れば、10作の外側にある作品でも、エッシャーの制作史のどこに置くべきか推定できる。
名称を知らなくても読み解けるし、知っていればなお深く見える。
おすすめです。

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美の回廊編集部

美の回廊の編集チームです。