巨匠の生涯の記事一覧
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)は、オランダに生まれ、わずか約10年の画業で2,100点以上を残し、20世紀美術の見え方そのものを変えた画家です。けれど本当におもしろいのは、孤高の天才という通俗的なイメージよりも、絵がどのように変わっていったのかをたどる時間の流れにあります。
モネの代表作を通して、1840年生まれの画家が光と時間をどのように絵に刻んできたかをたどります。印象・日の出(1872年、48×63cm)を起点に、睡蓮連作(約250点)へ至る制作の流れを、制作年・主題・所蔵・鑑賞ポイントの観点から10点で紹介します。
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841–1919)は、印象派の創設メンバーとして明るい色彩と戸外の光を受けとめながら、ことに人物へ落ちる光の描写を自分の中心に据えた画家です。しかも1881年の旅行を境に、単なる「印象派の人」で終わらず、輪郭と構図を立て直しながら古典性と色彩を結び直していきました。
ポール・セザンヌは印象派の一員として出発しながら、その先で絵画そのものの組み立て方を塗り替え、近代絵画へ影響を与えた画家です。この記事は、セザンヌを有名作家として知っているものの、なぜピカソ(Pablo Picasso)など20世紀の画家たちへと話がつながるのかを整理して知りたい人に向けて書いています。
フィレンツェの工房で学んだ若きレオナルドが、ミラノでルドヴィーコ・スフォルツァの庇護を受け、晩年にフランソワ1世のもとでフランスへ渡る流れを押さえると、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯は「天才の伝説」ではなく、都市と後援者に導かれた仕事の連続として見えてきます。
ダビデ像の前に立つと、総高517cmという数字がそのまま身体感覚に変わって、視線が自然に上へ引き上げられます。足元から見上げるだけで比率の緊張まで強く感じられるのが、ミケランジェロの彫刻の怖さです。
ラファエロ(Raffaello Santi / Sanzio)が「調和の画家」と呼ばれるのは、ただ端正に美しいからではありません。三角構図、明暗法、やわらかく輪郭を溶かすスフマート、そして人物どうしの視線や身ぶりの自然なつながりによって、
ピカソは作品数の多さや作風の変化の激しさで、とっつきにくい画家に見えます。けれども代表作を時代順に追うと、青の時代からキュビスム(キュビズム)、そしてゲルニカへと至る道筋は一本につながって見えてきます。
ドガの踊り子|印象派との違いと代表作の見方
大きな画面で、床の空白が斜めに広がる稽古場の絵を前にすると、こちらは舞台の正面客席ではなく、画面の端からこっそり稽古を覗き込んでいるような気分になります。エドガー・ドガは印象派展の中核にいた画家ですが、関心の中心は戸外の光よりも、線と形態、室内の人工光、そして思い切って切り取った構図にありました。
グスタフ・クリムトは、ウィーン分離派の中心に立ち、大学天井画論争を境に公的な歴史画から距離を取り、より個人的で象徴的な表現へ移行した画家です。1903年のラヴェンナ体験の影響もあり、金箔・銀箔・プラチナ箔を駆使する“黄金時代”(おおむね1901–1909年頃)を展開し、